阪神大震災から22年が経過した。
時間が経つにつれて、少しずつ忘れられていくし、それは仕方のないことだけれど、大震災の教えを、少しでも後世に伝えていくべきだと思う。
私は東京にいたから直接、震災を体験したわけではない。
しかし、関西に住んでいる親類の話やテレビのニュースから、その恐ろしさは何となく分かっていた。
けれど、震災を体験した当事者でないと、震災の本当の怖さは分からないと思う。
それは、東京で東北大震災の余波を受けた時に感じた。
村上春樹は阪神大震災後に、連作短編を書き、一冊の短編集として刊行した。
1995年1月、地震はすべてを一瞬のうちに壊滅させた。
そして2月、流木が燃える冬の海岸で、あるいは、小箱を携えた男が向かった釧路で、かえるくんが地底でみみずくんと闘う東京で、世界はしずかに共振をはじめる・・・。
大地は裂けた。神は、いないのかもしれない。
でも、おそらく、あの震災のずっと前から、ぼくたちは内なる廃墟を抱えていた。
深い闇の中に光を放つ6つの黙示録。
これは、文庫版の裏表紙の文言です。
大きな出来事は、同時代の人々に何らかの影響を与える。
それは、震災での直接の被害だけではない。間接的に、精神的な影響を与える。
大震災は、影響力のある引き金だ。
私たちは、その引き金が引かれるずっと前から、心に何らかの廃墟・深い闇を抱えていたからこそ、震災によってその闇に向かい始める。
一人一人の深い闇を照らし出す、この6つの短編を通じて、そしてまた何らかの引き金によって、私たちも自らの深い闇と対峙し、解き放つことができるなら、それは、個人史における一つの革命になると思う。
私にも闇はある。どの人にも闇はある。それを解き放って欲しいと思う。
遠い国にいるだろうあの人にも解き放って欲しいと思う。