朝、雨がパラパラ降っていた。
滋賀県に移動すると、雨も止んでいた。
青空も少しずつ覗いてきて、琵琶湖を見下ろして峻厳に聳え立つ湖西の山脈が、雨後の透明さのお陰で、如実にその稜線を見せている。
琵琶湖線の車内の明かりが、いつもより随分明るかった。蛍光灯を入れ替えたみたいだった。
東南アジアのどこかの国の言葉が聞こえた。
京都駅は、いつものように海外からの観光客で賑わっている。
小学生や中学生たちは、もう冬休みなのだろう。
駅には、クラブ活動の大会のためだろう、どこかに移動するたくさんのジャージ姿の女の子がいた。
京都駅伝のために、もう現地入りしている他府県からの高校生もいた。
時間は実在しているわけではない。
地球は太陽の周りを、自転しながら移動しているけれど、ただそれだけである。
朝が来て明るくなって、夜になって日が落ちる。ただそれだけである。
私たちは、便宜上、時間というものを作り出して、それに沿って生きている。
クリスマスも正月も、暦という装置のなせる業である。
シーンと静まりかえった深夜。
RADWIMPSの人間開花のCDジャケットの女の子がこちらを見つめている。
昔々、年末になると、数百枚の年賀状を夜遅くまで書いていた。今はもう、そんなには書かない。
耳を澄ませると、遠い日本海の港の波の音が聞こえてくるようだ。停泊する漁船やモーターボート、真っ暗な中に微かに光る遠くの灯台からの明かり。
何か言いたかったのだろう。何か言って欲しかったのだろう。
悲しかったんじゃないのだろうか。開きたいけど、開けない。
言葉は難しい。人の心は難しい。
音がない時間。
これから何が起こるのか分からない。私たちはどこにも行けないし、どこにでも行くことができる。
眠らないと。
明日はまた、カメラを持って撮影に行きたいと思う。