街を歩くと、様々な人に出くわす。
路上でギターを掻き鳴らす男の子。家族連れで観光に来た中国人。道の片隅でひたすら電話を掛けている女の子。
楽器屋の前に自転車を止めて、友達とおしゃべりしている高校生。老夫婦が仲良く商店街を歩いて行く。
私たちは他人の人生を生活を、想像するしかできない。
想像以上の生活が展開されているのかも知れないし、自分と同じくらいの幸せや不幸を抱えているのかも知れない。
12月の風景は、個々の生き様を浮かび上がらせる。
それは、年の瀬という締め括りを、誰もが通過しようとしているからかも知れない。
普段はバラバラな目的を持って生きている我々が、年末になって、架空の一点に向けて進んでいるから、個々の生を比較しやすいのかもしれない。
師走は不思議な空間だ。茫漠とした中に浮かんでいるような気分にさせる。何もかもが許され、何もかもが優しげに映る。
川に遊ぶ小鳥たちも落ち着いた表情を浮かべているように思える。
私は、出来る限り冷めた目でこの空間を眺めていたいけれど、この揺り籠の中に自分も入ってしまいたいとも思う。
私も、普通に仕事をし、本を読み、音楽を聴き、眠い日には疲れて早く帰りたいと思う。気になる人もいて、お腹が空いたらご飯を食べ、日曜になるとカメラを持って出かける。
そんな日常、どこにでもある日常。それが壊れるでもなく、ふっと浮遊してしまう12月。
もうあと、2週間でそんな宙吊りの空間も消滅する。
この気持ち良さを自覚して、残された時間に埋もれたいと思う。