1990年代、ミスチルとスピッツがJ-popの世界で台頭してきた。
ミスチルは当初、個人的な恋模様、生活模様を歌う音楽で、ビートルズの日本的・現代的模倣として登場した。それは嘗てのタイガースのような、ビートルズと同時代の模倣音楽の反復であった。
そのミスチルがメジャー路線を走り出した頃に、どこかで耳にした新しいメロディーと声が気になって、innocent worldの入ったCDを借りてみた。
innocent worldは新しい音楽だと思えたが、その他の曲はあまり分からなかった。
同じ頃、人からの勧めで、スピッツのハチミツが録音されたカセットテープを聴いた。こちらの方は、その軽快なリズムと分かりやすいメロディーラインで、全曲楽しんで聞けた。
聴きやすさ/聴きにくさという点はあったけれど、聴いてみてどちらも、新しい音楽の到来だと感じられた。
ミスチルの歌詞は、詩ではなく散文のような歌詞が多い。読めば、聞けば、どのような内容を歌っているのかがすぐに理解できる。
スピッツの歌詞は、まさに詩である。草野マサムネは宮澤賢治が好きだと言っていたけれど、物事をそのまま表現したりはしない。
反対に、ミスチルのメロディーラインは聴きにくいと思うし、スピッツのメロディーラインは分かりやすいと思う。言うなれば、メロディーにおいては、ミスチルは詩的、スピッツは散文的と言える。
これは、カラオケで歌ってみれば分かる。ミスチルは歌うのが難しい歌が多いけれど、スピッツは歌いやすい。
この散文的な歌詞✖️詩的なメロディー、詩的な歌詞✖️散文的なメロディーの組み合わせが、新しい音楽の到来を感じさせたのかもしれない。
それまでの日本のポップスは、例外はあれ、分かりやすい歌詞に分かりやすいメロディーの組み合わせが主軸となっていたから。
Mr.Children「HANABI」Music Video
とはいえ、ミスチルもスピッツも変化し、様々な組み合わせの曲を作り続けてきている。
その後、スガシカオが、ゴツゴツした歌詞にゴツゴツしたメロディーラインの組み合わせを背負って登場し、新しい表現が日本のpopsを席巻する。
スガシカオについては、日本のJ-popなど鼻にもかけない村上春樹が「スガシカオの柔らかなカオス」という音楽評論で述べていることが興味を引く。