結婚は多くの人にとって通過儀礼であり、結婚式はそのための儀式である。
結婚式では、結婚が何にも増して、最上のものとして祭り上げられる。だから、結婚式はどこか現実的ではない。ディズニーランドのような夢の世界。虚構の世界に見える。
そして結婚自体もまた、易々と虚構に転化してしまう可能性を孕んでいる。
radwimpsは、「いえない」でこう歌う。
いつだって愛は必死さ 甘くなんてないのさ 甘いのは愛が見せる 夢のほうさ
結婚は愛が見せる夢である。愛自体は甘くはない。それはいつも必死。必死でないと壊れてしまう。
でも愛なんてどこにあるのだろう。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、SNSを介した結婚が破綻に終わった主人公の七海を、同性との愛のレイヤーに連れていく。
リップヴァンウィンクルとは、後半のもう一人の主要人物、真白のハンドルネイムである。
真白と七海は二人暮らしを始める。七海は、真白の、リップヴァンウィンクルの、花嫁になる。
お城・クラゲ・たくさんの衣装。二人は現実離れしたおとぎの世界で暮らし始める。
だが、やがて第三者が現れ、おとぎ話・虚構を支えているものを開陳する。この世界がディスクロージャーされる。
七海の最初の結婚に愛はなかったのか、いやあったと思う。でなければ、二人は結婚しなかった。二回目の架空の結婚に愛はなかったのか、こちらにももちろん愛はあった。
この映画を見ると、愛という捉えどころのない感情・関係性があちこちに見え隠れしている。けれど、愛をずっと捉え続けることは、常にできるとは限らないし、それが正しいとも限らない。愛は溢れているのかもしれない。けれど、誰もそれに気がつかないということも、ある。
「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」
真白が死の直前に放つ言葉である。
現代社会は、ねこかんむりのように、ハンドルネームで相手と交信し合う世界である。
けれど、愛も幸せも、ねこかんむりに目を曇らされてはならない。目を凝らして見れば、数々の愛があちこちに溢れているのだから。