郊外と呼ばれる場所が好きである。
郊外は、その前提として都会がなければならない。郊外は都会からの距離から生まれる空間だから。
東京都心部の周囲に広がる郊外。
金町辺りから江戸川を越えて、松戸・柏へと広がる郊外も、なんとも言えない寂寞のような、悲しみのような感情が伴う。
草加・春日部・越谷の風景もそうだし、東村山・所沢・狭山への景色もそうだ。
郊外の風景は、工場、似たような住まい、大型ショッピングセンター、公園など、少しずつ人工的な景色が入り混じってくるが、そうした風景を見ていると、寂しさを感じてしまう。
でも、その寂しい感じがとても好きなのだ。
随分と前に、何の目的で通ったのかは覚えていないのだが、越谷の小さな川沿いの住宅地を歩いたことがある。
ただ、同じタイプの住宅が続く町で、何でもないような町に思えるのだが、私にはなぜだか、その光景が身にしみた。それはその場所が、郊外だったからではないかと思う。同じような風景を地方の田舎で見ても、何とも思わないだろう。
どうして、郊外の風景に対して、そうした感情が湧いてくるのか分からない。現代都市で生活する人たちの、何と言えばいいのだろう、生活の襞のようなものが、郊外の風景から感じ取れるからだろうか。