リオ・パラリンピックが開催中である。
小学生の頃から何人かの障害者の人に出会ってきた。足が悪い人、知的障害の人、手が不自由な人、、、。
彼らはだいたい、いじめられたりしていた。私はそれがいつも我慢がならなかった。
貧乏な人、気の弱い人、仲間に溶け込めない人、垢抜けていない人。
彼らも、だいたい、いじめられたりしていた。私はそれにもまた、我慢がならなかった。
努力はすべきだが、人は好き好んで、今ある自分でいるわけではない。個人ではどうしようもない環境・障害・容姿・性格を背負って生きざるを得なかったりする。
それで人をいじめるのは、どうかしてると思う。恥ずかしくないのかと思う。
パラリンピックにはすごい選手が数多くいる。障害を跳ね除けて活躍する姿は、本当にすごいし、根性があるなと思う。
人はみんな、障害とは呼べるレベルまでいかなくても、小さな欠損は持っていると思う。それに、多くの人が正常ということを前提にして異常を語るから、異常が問題視されるが、反対に、みんなが異常ということを前提にして正常を語れば、偏見やいじめも減っていくのではと思う。
そもそも、どの人も千差万別だから、違って当然な訳だ。ならば、現実にはうまくはいかないけれど、理想としては、その違いの良さを認め合ってやっていければ、いいんじゃないかなと思う。