今日はそろそろ明日の用意をして布団に入ろうと思っていた。けれど、たまたまネットのニュースを見たら、エリ・ヴィーゼル死去という一文が見えた。
私はエリ・ヴィーゼルの著作は読んだことはなく、名前を知っているだけである。だが、彼の名前からナチスのホロコースト、ショアー、アウシュヴィッツ、アンネ・フランク、シンドラーのリストといった言葉が連想されて、少しホロコーストについて書いておこうと思った。
20代の頃、クロード・ランズマン監督の『ショアー』を見た。この映画は確か、10時間くらいあって、二日間かけて観た覚えがある。ショアーとはホロコーストのヘブライ語である。つまり絶滅という意味である。
この映画はなぜ長いか?意図して長くしたのではなく、長い時間をかけないと映像化できないからだ。
どういうことか?ここに登場するのは、ナチスの絶滅収容所を体験し生き延びた人たちである。その彼らに向けて、ランズマン監督は絶滅収容所での体験を語ってもらおうとするのである。想像してみればいいと思う。身近にいたユダヤ人のほとんが絶滅収容所で命を落としていく中、かろうじて生き延びた人間に、そこでの物語を簡単に語れるだろうか?
長時間かけて少しずつ涙とともに出てくる言葉によって、私たちはホロコーストの記憶の言語化がいかに困難なものであるかを理解することができる。日常生活においても、嫌な記憶や体験は言葉にしたくないものである。できれば忘れてしまいたい。
『ショアー』は言語化困難な体験・記憶の言語化という困難なハードルを越えようとした作品として評価でき、日常生活においても体験の言語化という仕組みを考える上で、ヒントを与えてくれる。