まず僕が住んでいる町に象がやってきた経緯。これは、こう述べられている。
「町の郊外にあった小さな動物園が経営難を理由に閉鎖されたとき、動物たちは動物取引仲介業者の手をとおして全国の動物園にひきとられていったのだが、その象だけは年をとりすぎているために、引き受け手を見つけることができなかった。」(p.405)
そして、その象の消滅。消滅ということの理由にはこうある。
「たとえば記事は「象が脱走した」という表現をとっていたが、記事全体に目を通せば象が脱走なんかしていないことは一目瞭然だった。・・・まず第一に象の足にはめられていた鉄輪の問題があった。鉄輪は鍵をかけられたままそこに残されていたのだ。」(p.410、411)
最後の展開は、僕とある女性の出会い。
「昔、うちで飼っていた猫が突然消えちゃったことがあるけれど」とずっとあとで彼女が口を開いた。
「でも猫が消えるのと象が消えるのとでは、ずいぶん話が違うわね」
「違うだろうね。大きさからして比較にならないからね」と僕は言った。(p.425)
二人は少し親しくなるが、象の話をしたことから、僕が投げやりになる。
「象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持ちになる。何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果との間に差異を見出すことができなくなってしまうのだ。」(p.425)
原因の分からない不可解なことが起こると、その答えは宙に浮いたまま、ずっとそこに居座る。我々が何をしようが原因は判明しない。
けれど、もしかしたら、この世界のすべてのことは、その本当の原因や理由なんて分からないまま進行しているのではないだろうか?
ひとまず習慣や常識やその時の感情などに従って、人は物事を処理しているけれど、本当は、象の消滅という事態に直面したのと同じく、すべての物事に私たちは接続していないのではないだろうか。