宗教
何のためにブログを書いているのか? 私は少なくともある人のために書いている。その人と関係のない内容であっても、その方が圧倒的に多いが、その人のために書いている。 その人が読んでいるかどうかは分からない。でも書いている。 勿論、文章を書くのが好…
桜の時期もあっという間に終わってしまった。 今日、街中を歩いたら、桜の木はすっかり葉桜に変わっていた。 暖かくなる3月の終わり頃から、あの世の現し身のように、突然、桜は咲き誇る。 もしかしたら、この世以外の世界があるのかも知れない。 一瞬で咲き…
今年も残すところ、あと半月ほどである。 今年は何があったのだろうか? 平凡な日常が続いているから、いったいこの一年、身の周りで何か変化があったのか、分からなくなる。 このブログを見返してみれば、そう言えば、これは自分にとっては事件だったなと思…
私も歳を重ねたものだ。 嫌なことがあっても、しばらくすれば、そんなこと呑み込んでしまえる。 若い頃はそうではなかった。 悲しいことがあると、しばらくは心から悲しかったし、立ち直るのに時間がかかった。 そんなこともあるさ、と納得できてしまう。弱…
これまでに何度、夕暮れを見たことだろう。 夕暮れはたまたま見られることもあるけれど、意識してみようとしないと、なかなか見られないものだ。 会社の建物の中にいれば、夕方になっても外に出ないから、そう見られるものではない。 昔、夕方車を走らせて、…
仕事場にイスラム教の方が来られた。マレーシア出身ということだ。 マラッカ王国の古よりイスラームを奉じたマレー半島の住人は、今も国教としてイスラム教を信仰している。 泥が合流する地クアラルンプールは、東南アジアの要所にして世界都市である。マラ…
忘年会のシーズンですね。 しかし、どうして年を忘れる会って言うんだろう。去りゆく年にありがとうでもいいのに。 年末には、瀬戸内方面に行って、島や海を見たいなと思います。写真もたくさん撮ってみたいし。 赤穂浪士の討ち入りも12月。クリスマスも12月…
下の最初の写真は、昨日東本願寺で撮影した標語である。だから仏教の、浄土真宗の標語である。 そのあとの写真は、ネットで見つけた街でよく見かける聖書の言葉である。 私には、今だに信仰というものの正体がよく分からない。 日本人の宗教への関わりは、信…
宮崎駿の『もののけ姫』の冒頭で、タタリ神に取り憑かれたイノシシが登場する。 ところで、京都の護王神社はイノシシ神社とも言うのだが、この神社は和気清麻呂を祀ってあって、私は、イノシシ➡️和気清麻呂➡️奈良時代という連想をしてしまい、『もののけ姫』…
以前にも書いたように、現在、訳あって聖書を紐解いて読み始めている。聖書というと、多くの日本人は変な顔をするだろうけど、聖書はキリスト教の聖典であるだけでなく、歴史的文献としても重要である。よく町の壁などに聖書からの言葉が書かれていたり、そ…
昨日、宗教について気になると書いたけれど、何が気になるのかと言えば、宗教に関心があっても、実際に宗教団体に入って活動をする人と、そういう行動を起こさない人とがいるわけで、その違いはどこから来るのかな?という点である。 私の過去の経験を紐解け…
タイのバンコクはクルンテープと呼ばれることもある。私はこちらの名称の方が好きである。クルンテープ(天使の都)は、先にも書いた通り暑さの滲む町である。熱帯に属する東南アジアは、一年を通じて暑さというものが基調低音にあるのかなと思う。 クルンテ…
モーゼから後継者を委託されたイスラエルの指導者ヨシュアは、旧約聖書のキリストと呼ばれている。 U2の『ヨシュア・ツリー』は、ヨシュアが天に向けて手を伸ばし、アイの町を攻撃した姿に似た樹木ヨシュアツリーをモチーフにしている。 Joshua Tree アーテ…
1年くらい前から、訳あってBibleすなわち聖書を紐解き始めている。 ハイティーンの頃から20代の頃まで、西洋・近代を理解するために座右に置いていた聖書は、言わば他の歴史書のごときレベルの文献であり、辞書のような書物であった。 しかし、時間をおいて…
世界では、キリスト教徒が最も多い。カトリック、プロテスタント、アングリカン、ギリシア正教など幾つかの宗派に分かれる。 さらに、統一教会、エホバの証人など新新宗教も含めると、キリスト教本来の姿がボヤけて見える。 影響力の強い思想からは、どうし…
宗教とは何なのだろう?信仰するとはどういうことを指すのだろう?教団・ゼクテとして組織化された宗教団体の意義はどこにあるのだろう? 私は宗教に関心はあれ、本格的に信仰したことはありません。だから、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、新新宗教に…
グアテマラの古都。石畳の街並みが美しい。