ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

平成の風景3。〜誰のために人は涙を流すのだろうか〜

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先日、自宅の自動車を久しぶりに運転したら、調子が良くなかった。

バッテリーランプが点灯しては消えていた。

ガソリンを入れるついでに併設の工場で見てもらったら、バッテリーは寿命で、他にもブレーキランプの片方が点灯しなかったり、タイヤも一つはパンク寸前で、もう一つも亀裂が入っていた。

とにかく、工場の人に説明を受けて全て交換してもらった。

 

私はこれまでに、交通事故も含めて、自動車・オートバイでは散々痛い目に遭ってきたから、早め早めに直しておくようにしてきた。

一度ひどい目に遭ってみないと実感できないと思うが、自動車に乗り始めた最初は、まあ大丈夫だろうと思ってしまう。

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大学卒業と同時に保険会社の査定部に入社した私は、来る日も来る日も多くの自動車事故の損害額確定と示談交渉に明け暮れていた。

 

これが戦前の保険会社だと船舶保険の査定が仕事の大方を占めただろう。

戦後・高度成長期はモータリーゼーション真っ只中の自動車事故の時代。

船舶事故は少なくなり、火災事故は少なくなり、時代は大きく変化した。

 

現在は、自動車保険とともに、賠償責任保険が一頃よりも叫ばれる時代になってきた。

簡単なことでも自分たちで解決できずに、お上の判断に委ねてしまう。

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小学生の頃、公園で友達とキャッチボールをしていた時のことだ。

私が投げたボールを友達が取れず、道路に止まっていた車にぶつかってしまった。

乗っていた若い男の人が車から出てきて、ひどく怒鳴り散らした。

友達は泣いてしまって、しばらく私たちは怒られ続けたけれど、すみませんと謝って帰った。

 

こうしたことは、私たちの日常風景だった。

だけど今は、公園でボールゲームをするなと張り紙がしてあったり、揉め事を避けて、外で遊ばせないようになってきた。

 

こうした行動、精神構造が一般的になってきた。

何かを自由にやるのではなく、人の目を避けて、人とのトラブルを避けて行動する。

そして、万が一、トラブルが発生した場合は、自分の判断ではなく、役所や先生や学校や上司や政府に丸投げしてしまう。

自分たちで解決策も出さずに、責任の所在・理由を他に決定させて、知らん顔をしている平気さが罷り通っている。

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私が見た平成の都市。

そこでは少しずつ、知らず知らずのうちに、人と人との関係が希薄になっていった。

今後もこの関係性は進行していくだろう。

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子供らを被害者に加害者にもせずに

この街で暮らすためにまず何をすべきだろう?

でももし被害者に加害者になったとき

出来ることと言えば

涙を流し瞼を腫らし

祈るほかにないのか?

 

私たちは、涙を流すことを忘れてはいないだろうか?

それは、人を大事に思い、子供を愛し、無償の慈愛に満ちた関係性を失っているからだろう。

涙は嘘をつかない。

止めどなく流れ出る涙は、理由は分からずとも、何らかの形をした優しさに根を持つ表現に違いないから。

ディスカバーREIWAニッポン①山口市

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まだ訪れたことのない山口市へ足を運んだ。

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ホテルにレンタサイクルがあり、借りて気の向く方向へ自転車を走らせた。

亀山公園という大きな公園があり、走っていると山口県立美術館が見えた。

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 山口駅に降りて、あっと思ったのは、町が石鹸というか洗濯後のような匂いがしていることだった。

町の匂いというのはある。

東南アジアだと、空港に着いたら、魚醤の匂いがしたり、住んでいる人たちは気がつかないが、匂いのする町はある。

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公園の頂上にザビエル記念館があった。

 

1550年(天文19年)11月上旬に周防国山口に入り、無許可で宣教活動を行う。

周防の守護大名大内義隆にも謁見するが、男色を罪とするキリスト教の教えが大内の怒りを買い、同年12月17日に周防を発つ。

 

京での滞在をあきらめたザビエルは、山口を経て、1551年3月、平戸に戻る。

ザビエルは、平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入った。

 

1551年4月下旬、大内義隆に再謁見。

それまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることを知っていたザビエルは、一行を美服で装い、珍しい文物を義隆に献上した。

献上品は、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などであった。

ザビエルは、初めて日本に眼鏡を持ち込んだといわれる。

 

これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。また、当時すでに廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。

ザビエルはこの大道寺で一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼった。

また、山口での宣教中、ザビエルたちの話を座り込んで熱心に聴く盲目の琵琶法師がいた。彼はキリスト教の教えに感動してザビエルに従い、後にイエズス会の強力な宣教師ロレンソ了斎となった。

 

ウィキペディアによる山口におけるザビエルの記述です。

 

無許可で宣教活動、、、

男色を罪とする教えに大名が激怒した、、、

物に吊られて宣教を許す、、、

2ヶ月の宣教で500人の信者獲得、、、

盲目の琵琶法師の存在、、、

  

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山口市に行って初めて知ったのだが、山口祇園祭の期間だった。

夜店が出て、神輿を担いで町を練り歩く人たち。

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なかなか迫力があった。

逞しい男性の担ぐ神輿はダイナミックで、学生時代の体育会の雰囲気がした。

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二両編成の山口線

手動で扉を開けるタイプで、乗客はそこそこいるが、ギューギュー詰めではない。

新山口から益田まで往復している。

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確か、宇部線だったと思う。

新山口から宇部まで走っている。

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行ったことのない町に行くのは楽しい。

そこがどんな町であれ、興味深い。

永六輔「遠くへ行きたい」は、短調の物悲しい昭和の歌であった。

 

令和の世には、新しい曲調の、旅の歌が望まれる。

ここから離れた遠くへ行きたい、だけど、ここが嫌いな訳ではない。

ここを見直すため、ひと時の余韻に浸りたい。

ぼんやりと雨音の中で

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 今年の梅雨は、あまり雨が降らないなと思っていたが、梅雨も終わりに近づいてきて、思い出したように大雨が続く。

 

大雨の後は、視界が透明になる。視力が良くなったのかと錯覚するほどに、遠くまで澄み渡った景色が目に飛び込んでくる。

遠い昔の奈良時代、空気は澄み、雨が降った後は透き通るほどに、寺や神社の緑が際立って美しい色彩を発露しただろう。

 

雨は、景色を人を、浄化する。

 

今日も帰り、土砂降りにあった。

さすがに歩けないくらい猛烈に降り続いたので、しばらく会社の中で雨宿りしていた。

 

雨よ降れ降れもっと、全てを流してくれ

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 雨の音は好きだ。

ゆっくりと文章を読むように、ゆっくりと音楽を聴くように、時間が流れていく。

 

ぼんやりとした微睡みの中で、昨日のことが明日のように思え、数年前のことが昨日のことのように思え、時間が混濁していく。

時間があるのではなく、混沌とした中に、無理やり一本の線を引いているだけだ。

今という瞬間に全てが凝縮されても、今という瞬間が空白になっても、その瞬間に溶け込んでいたい。

 

雨は時間を曲げ、空間を曲げて、私たちに新しいステージを見せようとする。 

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街がざわめき、光が煌めき、何かしら夢のような空間が広がる。

 

私が遭遇した記憶的な雨

関東平野の真っ只中で出会った大雨

バンコクのワットアルンで出会ったスコール

どちらも瞬間的な大雨で、その後、嘘のように雨は止んだ。

関東平野の大雨は、自転車に乗っていたからずぶ濡れになった。

バンコクのスコールは、寺院の中に身を潜めたから無事だった。

 

私は今でもこの二つの雨のことを、その情景とともによく覚えている。

後年、たまたま聞いたradwimpsのアメノヒニキクに出会った時、この曲の大雨の洗練されたイメージが、この二つの雨のイメージと重なった。

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自動車の窓から見える月明かりに照らされて、個人経営の学習塾の看板が見えた。

大手の保険会社もひっそりと静まり返っていた。

チェーン店の24時間営業の飯屋の灯りがついていた。

そうした場所で働いている人のことを想像すると、何か物悲しくなった。

 

近頃、ゆっくり落ち着いて、あれやこれやと考えたいことを考えてみようと、いつも思っていたけれど、時間がないのではなく、私が労働者としての時間感覚で生きていることが、落ち着ける時間を作ることを阻んでいた。

 

今日1日、ボッーとして過ごしていたら、仕事ではない時間感覚が蘇ってきた。

それは高台から、遠くの雲の広がりを見渡すことであり、町の密かな風景に目を向けることであった。

 

眠気が取れたから落ち着いてことが運べるわけではない。

雨が、大雨が、異世界への通路を開いてくれる 。

 

ザンザカザンとさあ ザンザカザンとさあ

nyan55.hatenablog.com

或る日の私の出来事

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仕事帰りに、三条河原町で降りて、ラーメンを食べチャーハンを食べ、散髪をした後、書店に寄り、リプトンでロイヤルミルクティーのホットを飲んだ。

 

祇園祭の鉾や山もそろそろ出来上がって来ていると思ったけれど、四条までは足を運ばなかった。雨のせいかもしれない。それに、祇園祭に特に関心があるわけでもない。

 

近くのセブンイレブンに寄って、コーヒーと麦茶を買い、自宅に帰ってシャワーを浴びた。

 

令和元年7月12日金曜日のサラリーマン男性の日常の一コマ。

平成の頃と何かが変わったのだろうか?

一人の人間に限って言えば、時代の変化はまだ認められない。

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 マケドニア軍は、滅法強かった。

フィリッポス大王、アレクサンドロス大王が率いた大軍は、オリエント世界を席巻した。

軍隊は組織運営の雛形を提供してくれる。

様々な性格、バラバラな動きの隊員をいかに統率していくか。

新撰組近藤勇土方歳三が、あの荒くれ者たちを統率した政治技術論を学んでいくこと。

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一枚の写真

ベルリンの廃墟の写真

なぜ忘れ去られてしまったのだろう。

国道6号線沿いに、殺人事件の現場があった。

その場所を通るたびに目をやったが、外から見ても中は荒れ果てていた。

いつまで経っても変わらなかった。

あのような場所はどうなっていくのだろう。

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また、1週間が終わった。

今週は普段よりも仕事が進んだ。

やる気のせいなのか、たまたまなのか。

面白くないわけではないが、仕事に100パーセントエネルギーを使うのは間違っている。

仕事はあくまで生きるための糧であって、生きることの数パーセントに過ぎない。

もっと広大な沃野を生きるための材料でしかない。

だから、仕事でのポジションは演劇の役割と同じ。そのポジションを私生活にまで引きずっている人たちは、本当に愚か。

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桜の季節はとうに過ぎ去って、ハイビスカスや朝顔、向日葵にラベンダーが顔を見せはじめた。

花は、可憐に咲いているけれど、気がつかない人は気がつかない。

特別、私たちに損得を与えないからだろう。

だけど、花は、損得とは異なるレイヤーに位置づいていて、それは美であり、感情であり、愛であり、そう、私たちの心にダイレクトに訴えかける何ものかである。

 

花は、見ようとしない人には何も語らない。心を落ち着かせ、花に気がついて気を配る人たちに初めて、その本来の姿を垣間見せてくれる。

梅雨空と七夕と祇園祭のエレジー

f:id:jauma1th:20171103125657j:plain以前撮影した写真をランダムに並べてみました。

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 近頃、自宅の自動車を使うことが増えて来た。出勤時に音楽を聴くようになって来た。

数年前までは、当たり前のようにやっていたのだけれど、ここ数年、自動車も音楽も、使い方・楽しむ時間帯が変わっていた。

何か、自分に微かな変化が起こっているのだと思う。

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日常の切れはし、ぼやけた遠景がやがて近づいてくる。

近くなって遠のいていく風景

同じ景色をずっと眺めさせてはくれないのだろうか。

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珍しく先日、昼間自宅に一人でいました。

いつか、そう遠くない先に親はこの世を去り、この空間に自分一人になるのだろうな、と思いました。

暗い、悲しい話としてではなく、人の常として、いつかは迎える日常の一コマとして、そうなんだなと思いました。

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宣統帝の一生は、境遇は違えど、私の一生と相違はない。

朝に乗るバスが、死刑囚の囚人車だったら、と考えることがある。

楽しさ、苦しさという大雑把な言葉では表現しきれない感情

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もとから、日常的に腹を立てないけれど、近頃は増して腹をたてることがなくなって来た。

そういう人もいる。こういうことも起こってしまう。どれもが今まで遭遇して来たことの範疇に収まってしまうので、怒ることも驚くこともない。

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梅雨空も、それほど続かないから、雨もさして降り続かない令和元年の梅雨

七夕も過ぎてしまい、祇園祭も始まり、だけど、暑くないから夏という感じでもない。

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学生時代、7月といえば、ボートの練習に明け暮れていた。

お盆前、花火大会が行われる頃になると、練習は一旦終了した。

荒川の河川敷やボートコースの土手に座り、ナトリウムランプの橙色の明かりに照らされながら、暮れていく黄昏を眺め、花火の音を聞いた。

その時は、その音やその時いた空間や時間が自分の全てだった。過去も未来も考えはしなかった。

時代も変わった。人は、同じように見えても、社会の関数だ。社会が変われば人も変わる。

私は、理性的であるよりも感覚的な人間だ。自分が求めている感覚。その肌触りをイメージしながら、それに合致するものを見つけようとしている。

 

戸田ボートコースの橙色のナトリウムランプ

自分はそのぼんやりとした明るさに照らされていると、不思議な空間にいるような、そんな感覚がした。

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線路沿いのベンチに座りながら

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寝たり起きたり、やっと目が冴えて来た。

この前の休日の話だ。

眠気が取れたら、ふらっと出かけたいものだ。

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夜空の星屑はなんでも知っている

流れる箒星、あの子に伝えてよ

 

私は大勢の前で話すことが全く苦にならない。緊張も全くしない。

それは、小・中学生の頃に、何百人もの前で、舞台に上がっていた経験が大きいと思う。

 討論や議論で数名と話すのも好きだし、一対一で話すのも抵抗がない。

お喋りではないし、どちらかと言うと大人しい方だが、人と話すのは全般的に好きである。

だけど、小学生の低学年の頃までは、人と話すことが苦手だった。それを直そうと母親は、一緒にどこか行くたびに、私から人に話しかける練習をさせた。

 

あの子に伝えないと。

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季節の変わり目は曖昧だ。

春のような、夏のような、はっきりしない季節の変節点

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 『ガタカ』を観た。

どこに惹かれるのか分からないが、心に残る。

ガタカ (字幕版)

ガタカ (字幕版)

 

 縦の糸はあなた、横の糸は私

あと一月もすれば七夕がやってくる

 

少し視点を変えるだけで、世界の風景は変わる。

ピカソは、日々世界の惰性と戦っていた。

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今日は珍しく、嬉しいことがあった。

近頃、疲れ気味なせいか、嬉しいことも2倍嬉しく思えた。

 

暮れていく街並み

学校帰りの高校生が自転車を漕いで走り去っていく

日々の憂鬱と惰性がビルを照らす夕日とともに消えていく

明日天気になあれ

日々、感情や気分は、更新されていく

同じ日など1日とてないが、同じような日々が波のように繰り返される。

レンズに映るフレッシュグリーン

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街には些か強い風が吹いていた。

通りを行き交う人たち、鮮やかなグリーン色の樹々

陽の光が、川の調べが、車の排気音が、雑踏の響きに混じって、淡く遠く夢のような空間を作り上げる。