老後をどう過ごすか?
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の私は、ギリシア語とチェロを練習する老後を思い描いている。
これは私の理想にも近い。語学と音楽好きな私も、ピアノ、バイオリン、フルートなどとギリシア語、ロシア語、中国語などを学ぶのは楽しいと思う。
肘掛け揺り籠椅子にゆったりと座り、BOSEスピーカーから流れてくるシューベルトやサンサーンスを聴きながら、『Aufscreibe systeme』や『Pride & Prejudice』をゆっくり読んでいく。
料理は、すぐに作れるようにキッチンをすぐそばに備えて、冷蔵庫に必要な食材を準備しておく。全てを近くに配備しておくのだ。
近くに川や湖があれば良いなと思う。
こうした生活は普通に可能だと思う。
だが、緩急がないと飽きてしまうだろう。
『Pride & Prejudice』の作者ジェーン・オースティンは、18世紀後半から19世紀初頭を生きた。人は自分の生を選べない。偶然、生まれ落ちた世界で生きるしかない。
今は大変な時代だ、と人は言う。しかし今が大変なのではなく 、どの時代であれ、生きること自体が大変なのだ。
人は強くもあり弱くもある。
強く見えていても、それは何かの支えがあるからなのだ。
私たちの心は、ルール・構造・広さ・初期値等のような概念を当てはめることで、より明晰に心の形を把握できるように思う。
そうしたことを行なっているのは、心理学や精神分析学などの心の学問であるけれど、
学問として考える前に、私たちは相手の心を汲み取り、それに対して行動を起こしている。
心は頭脳よりも素早く相手の心を捉える。心の位置は頭だと言われるけれど、心と思考のスピードは同じではない。
考える速さよりも感じる速さの方が速い。
私たちは考えて理解に到達するより前に、相手の心を感じている。
老後の過ごし方を書いたけれど、何かをするということ以上に、人の心の存在が必要だと思う。
頭脳だけではなく心を持つ私たちは、AIと異なり、人と人との間に存在している目に見えないもの、愛・信頼・空気といったものが、その住処となっている。
空気のない場所では生物として生きていけないのと同じく、愛や信頼のない場所で、私たちは人として生きていけない。
私たちは生物として老いていくけれど、人として老いていく訳ではない。私たちは消滅するまで人であり続ける。
孤独はなぜ僕を見つめ続ける?