ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

メモランダ

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夢印 (ビッグコミックススペシャル)

夢印 (ビッグコミックススペシャル)

 

 浦沢直樹が短期連載していた『夢印』が早くも単行本化している。

これ一冊で完結しているので、いつもの浦沢直樹のような入り組んだストーリー構成ではなく、まさに短編である。夢があり不思議な結末となっている。

赤塚不二夫の漫画キャラクター「イヤミ」が、独特の「ざんす」口上で登場する。

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ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義

ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義

 

 『アンチ・オイディプス』を理解したくて、でも読んで見ても、「なんだこれは?」と途方に暮れた人は多いと思う。

私も長年、読んだり離れたりの繰り返しで、結局、色々な人の解釈とか説明を読んだり聞いたりして、こういうことだろうなくらいで終わっていた。

だけど、この講義録は、ハッとするくらい分かりやすいし、痒いところまで解説してあるので、そうだったんだとか、そうなんだとか、の発見に満ちている。

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EVと自動運転 クルマをどう変えるか (岩波新書)

EVと自動運転 クルマをどう変えるか (岩波新書)

 

自動車が欲しいという欲求はないのだが、過去の仕事柄、自動車の技術・構造に関心がある。

特に、EV・HV・FCVといった今後の自動車のモデルとなって行くエンジンを巡る技術、自動運転・IT化の話題は気になる。

この新書は、現時点の概説書として、EVと自動運転で何が問題となっているのかを解説してくれている。

自動車が好きな人は、トヨタやホンダなどの各メーカーのホームページを見れば、各社がどんなタイプのエンジンに力を入れているかがよく分かる。

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鹿児島市のホテルで見たテレビで、藤山直美が言っていた。

「私の仕事は水に手を突っ込んで字を書くようなもの。書いても書いても消えて行く。今日出来ても明日できるとは限らない。」

彼女のような芸達者でも、そうなんだ。
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mainichi.jp

http://www.soumu.go.jp/main_content/000562106.pdf

気になったニュース。

「圏域」という新しい行政単位が現実化して行くかもしれない。人口減少に対応した政策であり、「人口減少」は行政レベルだけでなく、我々一市民もどうなるか絵に書いて行くのが良いと思う。これから本当に様々な領域で大きな影響を及ぼして行くだろう。

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www.asahi.com

9月1日は一年で一番小中高生の自殺が多い日。

働いている大人だって、お盆休みが明けて仕事に行く初日はかなり嫌だ。

だけど、自殺までに至るということは、並大抵の嫌さではなく、精神的に極度に病んでいるレベルであり、周囲が助けて行かないといけない。

子供が病んでいる場合、親も普通ではない場合が多く、第三者が何らかのアプローチを早目に取って、子供を助けなければいけない。まずは、学校がその任務を果たさなければいけないが、先生自体が余りにも厖大な仕事量や人間関係の重圧で、先生も精神的に負担が大きい。

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 休み中に接触した気になった事柄を、覚書レベルでランダムに記しました。

ぼんやりしていること

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土曜日の午後は、金曜日の朝と同じくらい好きな時間だった。

学生寮のベッドの上に寝転んで、外に生い茂る木々を見ながらぼんやりしていた。

仕事を始めてからも、土曜日の午後は窓の近くに横になって外をぼんやりと見ていた。

夕方になって、外に出て、暮れ行く夕日を眺めながら、近くのスーパーに入って買い物をしていた。

自宅近くにある湖まで歩いて行って、湖畔に並んでいる木のベンチに腰掛けて、水面をぼんやりと見ていた。それほど大きな湖ではなかったけれど、水深は深そうに思えた。

人は、明晰な頭で生きている時間よりも、ぼんやりとしている時間の方が長いのだろうか。

旅は、意外と頭を使う。初めての場所だから、体が自動的に動いてくれない。のんびりと旅をすると言っても、仕事から解放されているだけで、頭はそれなりに動き回っている。 

明確な人生の目標を持って生きている人がどれだけいるのだろうか。

目標を持つこと自体を目標にしているだけではないのだろうか。

私も目標を持たなければいけないと思っていた時期もあった。だけど、湧き上がってくるものがなければ、目標など持ちようがない。

ぼんやりとしているのが目標だろうか。ぼんやりとしていれば、何かが沸き起こってきたとき、すぐにその方へ移行することができる。

音楽は、歌詞のあるものを聞いているよりも、クラシックやジャズの音だけの世界に浸っている方が邪魔にならず楽な時がある。

音も何かのメッセージを伝えてくるが、言葉のように一義的なメッセージにはならない。この音だけの世界にいるのも、ぼんやりとできる空間である。

闇だけでなく、光だけでなく、両者の織り成す世界。明確な意味を与える世界ではなく、どこにでも移動できる世界。

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『狂気の歴史』にしろ、『21世紀の資本』にしろ、『聖書』にしろ、ぼんやりと読んでいる方が理解しやすい。その厖大なページ数を前に、構えて読もうとすると挫折してしまう。あまりじっくり読みすぎると息を切らしてしまう。

 

ぼんやりとして、何が来ても受け入れ、何が来てもそれに移れる柔軟な体勢でいること。

無理しないで言える目標って、これかな。

静かに打ち返す波のように

 

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昨日、旅の最終日、まだ行っていないところで静かな場所と思い、山口県周南市徳山に宿泊した。以前の徳山市だ。

ホテルの目の前に瀬戸内海が横たわっていた。静かに打ち返す波の音が、桟橋にあたり、岸にあたっては、微かなざわめきとなって消えて行く。

遠くの方には大小様々な島が点在し、その間を縫うように、タンカーや漁船や砂利船や遊覧船がゆっくりと走って行く。

時間がゆっくりとゆっくりと動いている。誰かがこのゆっくりとした時間を作り出している。それは海なのかもしれない。

怠けているのではない。ここでは、この時間の流れが普通なのだ。

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夕方頃ホテルに入り、あとはずっと部屋で過ごしていた。

こういう町もいいなと思った。お店がある訳でもなく、観光場所がある訳でもなく、しかし落ち着いていられる。

窓の外から見渡せる景色は、ありふれた駅前の風景だ。駅があり、駐車場があり、線路があり、港がある。

旅に、日常に、我々は何を求めているのだろうか。全てはありのままに動き、なんの不自然さもなく我々の前に姿を現わす。

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なぜめぐり逢うのかを私たちは何も知らない。

いつめぐり逢うのかを私たちはいつも知らない。

どこにいたの。生きてきたの。

遠い空の下。二つの物語。

 

中島みゆき「糸」

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誰もが、みんな、幸せに生きてくれればと思う。

それは私も同じ。誰もイエス・キリストのようにはなれない。

だから、静かに打ち返す波のように、生きていければ、それが一番の幸せだと思う。

蚊のいない夏、幽霊のいない夏

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旅も二日経過し、旅行というよりは、日常生活を普段と違った場所で過ごしている感覚になって来た。

昨日は熊本市から博多に向かい、だけど、相当な暑さでもう動きたくないと思った。

一先ず、博多駅前を撮影して記録に残しておきます。

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エスカレーターの利用も少ない。わざわざ屋外には誰も出ない。

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外を歩いている人はまばら。暑くて、屋内に入っている。

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朝日新聞楽天のビルが並んで立つ。

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ということで、普通の日曜日のように、丸善書店に行って本を買い、映画を見ることにした。

あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学-

あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学-

 

人間の精神ほど、身近でありながら理解しにくいものはない。

誰しもが持つ心・精神。

人であれば持っている精神には、それを通して解読・理解できる格子はあるのか。

missionimpossible.jp

博多駅に映画館があり、ざっと上映中の映画を見てみた。

『ミッションインポシブル フォールアウト』、『スターウォーズ ハンソロ』、『ジュラシックパーク』などが上映されていた。

直感で、フォールアウトにした。

上映されると、うたた寝をしてしまい、それと多数の新しいキャラクター登場で、人物相関が分からず、ストーリーもプルトニウム爆破阻止という辺りしかはっきりと分からず、でもアクションアクションの連続で、ハラハラドキドキ面では楽しめた。

 

そろそろ帰れということか?

外は暑すぎるし、博多は広すぎる。

 

今夏は蚊に刺されないように思う。暑さでいないのか?

幽霊の響きも聞かれない?

くまモンを追って

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熊本駅に到着。くまモンはどこにでもいる。

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中国・九州は路面電車が走っているところが多い。

長崎市鹿児島市熊本市広島市岡山市など。 

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くまモンスクエアを見つけた。

くまモンは有名だけれど、子供向けキャラクターかな。

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スクエアの中にある。楽しそうなくまモン

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ラフカディオ・ハーンの自宅。

『怪談』を書いた小泉八雲。そんなに日本が気に入ったのか。

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今日は休館日であった。

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熊本市の繁華街。

シャッター商店街ではなく、結構、繁盛している。

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エスニックなアジアのお店が並ぶ。

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美味しいらしい、カルビのお店。

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近頃、スマホのバッテリーの調子が悪く、昨日も直ぐにバッテリーが減ってしまい、ストレージの容量も少ないのでデータを保存できず、そろそろ買い替えかと判断して、熊本市で機種変更した。

iphone Xに変更し、おまけで、こちらも容量不足で死んでいるipadも安く購入して、これで、当分、スマホipadのことは気にせず過ごせると思うと、ホッとした。

こうした機器がなければ、生活しにくい環境になってしまっている。

 

熊本城撮影に来たのだが、大地震で、熊本城は二年ほどの間、閉鎖されていると知って、ショックだった。

近くのお店の人に聞いたら、かなり崩れているから閉鎖されているとのこと。

だから、今日はスマホのこともあって、観光ではなく、普通の休日として過ごす感じになった。

鹿児島市もそうだったが、熊本市も人や街に活気がある印象を受けた。

夏休みで若い人たちが街に出ていることもあるだろうが、人や街に勢いがあるように思えた。

 

ご飯を食べることも忘れて行動していると、自分のやりたいことがずっと続けられて、気分がいい。

ご飯のために時間を費やすのではなく、やりたいことのために時間を費やす。お腹が空いたら、食べたいものを食べる。これはなかなか、精神的にいい。

昨日、今日とラーメンばかり食べている。どれも美味しい。豚骨、細くて硬い麺、チャーシュー。私はこの3つが大好きである。 

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くまモンだらけの熊本市。早くお城も復旧されればなと思います。

南洲翁の地へ

 

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南洲翁こと、西郷隆盛の故郷、鹿児島市に来た。

 

山陽・九州新幹線は、大変な混雑ぶりであった。自由席しか購入できず、博多まで立っていた。帰省ラッシュであり、仕方のないことである。

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桜島と市内を回った。

西郷・大久保・ザビエルの銅像があった。

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最後は西郷と戦った同士・大久保利通

日本史最後の内戦、西南戦争終結をもって、日本は本格的に新しい時代へとテイクオフする。

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甲突川にある母と子の群像

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桜島は、雲か噴火か、あまりよく見えなかった。

24時間フェリー運航には驚いた。そんなに行き来する人がいるんだ。

噂のフェリー内のうどんも食べたが、なかなか美味しかった。

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桜島の縁。

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15分で到着。何もないので、直ぐに引き返した。料金は160円。

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みなと大通り公園のモニュメント。奥に市役所が見える。

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 銅像近くの撮影広場

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 幕末・維新も遠くなってしまった。

明治生まれの気骨ある祖母の思い出から、私は、幕末や維新の微かな息吹を感じ取るくらいである。

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暮れ行く鹿児島中央駅前。

鹿児島ラーメンを食べて、ホテルに引き上げた。

休暇中は、起きたい時に起きて、寝たい時に寝て、時間を無視して、旅行に、読書に、ブログに、食事に、、、、向かおうと思う。

夜の帳が下りる頃、世界は別の顔を見せる

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夜の帳が下りて、辺りの風景が見えなくなる頃、ゆっくりと起き出して1日が始まる時代もあった。

 

部活動も引退して卒業論文を準備している頃、ひたすら書物に向き合っていたので、時間が経つのを忘れていたら、深夜になることが度重なって、昼夜逆転の生活になってしまった。この生活は卒業近くまで続いてしまい、就職してやっとまともな生活に戻せた。

 

夜勤で働いている日系ラテン人(日系ペルー人、日系ボリヴィア人、日系アルヘンティーナ)のスペイン語通訳として働いている時期があった。この時は、思い切り夜型生活だった。でも、この仕事をしたおかげで、かなりの数の日系人と知り合いになれて、南米ラテン人とのネットワークを築くことができた。

 

自宅に呼んだり、先方に行ったりして、子供の勉強を見ている時期も、昼夜が逆転に近かった。子供たちの勉強を見る時間は、早くても16時くらいで、終了時刻は遅くて22時くらい。そのあとに、明日教える生徒のための準備をしたり、添削したり、資料を作ったりしていると、夜はどんどん更けて行き、気がつくと明け方ということが頻繁に起こった。

 

これとは反対に、いわゆるサラリーマンとして、スーツ姿にネクタイを締めて、高層ビルのオフィスで働いている時代も結構あった。

こちらはこちらで、楽しくもあり大変でもあり、言わば、学校生活のように時間帯が決められた中での仕事で、時間に自由が効かないと言えば効かなかった。

 

時間に縛られて仕事をするのか、自由に時間を使える仕事をするのか。現実にやってみると、どちらもメリットとデメリットがある。

私の場合、サラリーマンとして稼いで、個人経営で自由に好きなことをやり、またサラリーマンとして稼いで、という繰り返しであった。

今後もまた、そういうサイクルで過ごして行くのではと思うが、私にとって大切なのは、生活を基本ラインで安定させた上で、やりたいことに時間をかける生活である。

 

所詮、この世は資本主義のメカニズムで動いている。最低限、そのメカニズムに自分を組み込むことが必要不可欠である。ただし、どのラインまで自分を組み込ませるかには、自覚的でありたい。その上で、資本主義から離れて、それとは異なるレイヤー・リズムで、自分自身の生き方をして行く。私にとってはそれが理想であり、現実的である。

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夜という時間。そこでは、昼間とは異なるリズムが支配している。自分の時間、創造の時間、空想の時間、あの世の時間。夜は昼とは全く異なった顔を見せる。

スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』は、全編、夜の時間を描く。幻想の時空間・夢の時空間・魔の時空間。夜は、昼がないかのごとく、圧倒的な存在感で、描かれる。

 昼夜逆転の生活をしたい訳ではないが、夜という時空間を再び、じっくりと味わってみたいと思う。サラリーマンの生活だと、夜は昼の続きに過ぎない。疲れて帰って寝るだけの時間帯。これでは、夜の本来の顔は見えない。 

審判 (岩波文庫)

審判 (岩波文庫)

 

世界が寝静まった空間で、闇の中から内なる灯を燈し、精神の・心の世界の発掘を行うこと。カフカが夜の中で創造したのは、内なる自己・内なる世界であった。

 

資本主義と夜との絶妙なバランスで生きて行くこと。