週末、夕方外に出たら予想以上に寒かった。
昼間は部屋にいて『ブレードランナー2049』を観たり、音楽を流したりしながら、仕事の準備をしていた。
この4月から部署の総責任者になったので、時間の流れ方が今までと違う。
これまでも責任者を、以前の会社も含めて任じてきたが、今までと違い、悪く言えば、仕事をせずにサボろうと思えば、いくらでも手を抜けるポジションであることが見えてきた。
「権力は腐敗する」という例の、末端的な位置にいるのだろう。
しかしながら、何事に対しても真面目な方である私は、自分なりの計画を立てて、進んで行くだろう。一緒に働いている人のストレスを、少しでも楽にしたい思いがある。計画・実行・反省というサイクルを通して、人を動かすことの実態・実効性を考えたい思いもある。
『ブレードランナー2049』は、繰り返し見ても飽きないし、映像と音楽がマッチし、『ブレードランナー』と絡めたストーリーの紐解きも面白い。
ミスチルがApple Musicで解禁になったので、ずっとかけっぱなしで聴ける。連続して聞いていると、彼らの音楽の変遷・変化が分かる。
『深海』『シフクノオト』『SENSE』にそれ以前とは違う曲作りが見られる。
『深海』から、現在に続くミスチル的な音楽が始まったように思う。
それまでは、恋愛を中心に歌い上げる和製ビートルズ的な曲が多かったが、『深海』頃から、社会や日常生活の奥に潜む空洞・闇を感じさせる曲が登場する。
もっとも、初期のカテゴリーの曲を詳細に観察して、そこに微細な変化を見つけるのも面白い。
仮面を着けた姿がだんだん様になって行く
飾り立てた言葉を吐いては
軽い風邪にかかった。風邪薬を飲んだ。流行っている様子だ。
私は扁桃腺が大きいので、まず喉の痛みから風邪にかかる。
『ショーシャンク』の中に、刑務所の所長が主人公に、聖書の「君はどの節が好きだね?」と問いかける場面がある。
欧米人であれば、聖書に少しは親しんでいるので、こういう質問もありうるのだが、聖書には膨大な教訓めいた説話が収められていて選り取り見取りである。
日本人なら、こういう共通の書物ってあるのだろうか?
「君は漱石の小説の、どのエピソードが好きだね?」って、ないだろうな。
ちなみに、私が気になる漱石のエピソードは、『道草』の最初の方に登場する、主人公を道端でじっと見つめる男のエピソードである。このシーンは、この小説の暗いトーンを形成していて、その男の下品な視線が、気になってしまう。
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
私が好きな聖書の一節としては、コリント書の上の一節がある。
これは、『星の王子さま』にも見られる「一番大切なものは目に見えない」という有名な一節と通じるものがあり、好きである。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,河野万里子
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日本には宗教は根づきにくいが、場を同じくするものと連帯して行く風土がある。
芥川龍之介「大川の水」には、大川への愛が語られている。
自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、
人には、故郷を始め、懐かしさ・落ち着きを与えるものが必要だ。
家族・恋人・仕事仲間・地域社会・サークル活動といった人のサークル、故郷・都市景観・景色・街といった人が接する社会の整備、を通じて、人に落ち着きを与えることが、とても大切だと思う。
人や社会や環境との連帯が失われれば、そこに闇が発生する余地ができてしまう。
仮面を着けた姿がだんだん様になって行く
今日も1人立ちすくむ僕を
もう一度支えてよ
現代社会、人との連帯が失われつつある時代、そこに顔をだす闇
神はなぜ悪が闇があるのに放っておくのか?
それは悪・闇も含めて神が創造したものだからなのか?
私たちも、この社会も、遠い昔の成り立ちから比べて、遠いところまで来てしまった。
出来ることは限られている。
その日1日を平穏に過ごせればいいのかもしれない。鳥が飛翔するように、波が来ては返すように、山が丘がそこに泰然と佇んでいるように、自然に身を任せるのがいいのかもしれない。