私も歳を重ねたものだ。
嫌なことがあっても、しばらくすれば、そんなこと呑み込んでしまえる。
若い頃はそうではなかった。
悲しいことがあると、しばらくは心から悲しかったし、立ち直るのに時間がかかった。
そんなこともあるさ、と納得できてしまう。弱かった私も強くなったものだ。
この世で起こらないことなんてない。
想像を絶すると言っても、現実には起こってしまう。
だから、何が起こっても動揺することはなくなった。
宗教は、予め出来事の意味を包括的に定めておくことで、現実に生じた出来事に対して、即座に意味を与える機能を有している。
神が定めたから、こうなったのだと。
神が定めた戒律を文章化しておく。聖書、コーラン、、。
私は特定の宗教を信仰していない。
しかし、私を含め我々は、宗教的な存在である。
それは何かを信じて生きているということである。そうでないと、私たちは生きていけないし、社会も回らない。
おそらく、現代では宗教をその根源的なレベルで信仰している人はごく僅かだと思う。多くの宗教活動を行なっていると任じている人の99パーセントは、サークル活動レベルのことを行なっているだけだと思う。
でも、それはそれで構わないと思う。
宗教的な存在である私たちが、従来の宗教という建造物に、自分たちの有する信という構造を対象化している。
現代では宗教と機能的に等価な働きをするメディアなどのサブシステムが存在しているので、多くの人が何かを信奉・信仰の対象として生きている。
ならば、AKBを信仰しようが、キリスト教を信仰しようが、岡田有希子を信仰しようが、機能的には等価である。
もうすぐ7月。
今年の梅雨は梅雨らしくないのか?
雨もまだそんなに降らない。