ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

早く休みにならないかな

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ディカプリオ主演の『レヴェナント』を観た。

自然の怖さ、西部開拓時代の原住民と白人との対決、息子を殺されたことへの復讐が描かれている。

実話らしいが、よくもこんな過酷な中で生きていられたと思う。

厳寒の中、山を越え、河を下り、敵と戦い、希望があるのかないのか、でも生き続けていく。

 

名探偵コナン 91 (少年サンデーコミックス)

名探偵コナン 91 (少年サンデーコミックス)

 

買っていたコナン君の漫画を、まだ読んでなかったので読んだ。

コナン君は始まった頃から読んだり見たりしていたのだが、近頃は全く読んだり見たりしてなかった。

コナン君のトリックも、始まってしばらくはシンプルで、だけど、あっと驚くトリックだったりして、見てて楽しかった。

でも途中から、話がやたらと長くなり、もう一つ精彩に欠けるようになってきたと思う。

 

随分暖かくなってきたけれど、まだ朝晩は少し涼しい。

昨日は足長な蚊が現れて驚いた。

今日は寝てしまうとすぐ明日になるので、できるだけ起きて、寛いでいたいと思います。

誰でもそうだろうけれど、基本的に仕事行くの嫌なので。特に連休の後は。また早く休みにならないかなと思う。

 

仕事と個人の分離

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スピルバーグ監督『ブリッジ・オブ・スパイ』を観た。

冷戦下、アメリカとソ連でそれぞれ捕まったスパイが、ベルリンで交換されるというものだ。その水面下の交渉に、アメリカの辣腕弁護士ドノヴァンが起用される。

事はうまく運んだ。ドノヴァンの家族は彼がそんな大役を引き受けているとは夢にも思っていなかった。事後、ニュースで彼の働きぶりを知った。

 

概して、当事者とその周辺以外に、その人の仕事・技術の評価を正確にできる人はほとんどいない。

 

中村主水という、役人でありながら裏で悪人を成敗する人物が主人公の、人気ドラマがあった。彼の凄腕の剣術を、家族は全く知らない。腑抜けの役人、役立たずの人間と見定めている。でも、実際はそうではない。

 

こうした事は、映画やドラマの世界に限ったことではない。

会社や社会で、どんなにすごい仕事をしていても、家族はほとんどそんなことは知らない。

 

でも、それでいいと思う。場合によっては、何らかの加減で仕事の評価を家族が知ることもあるだろうが、知っていても知らなくとも、大差ない。

 

仕事と家族の分離。仕事よりも家族・個人の優位。

何かと男性たちは、仕事での活躍・評価を重視する。でもそんな事はどうでもいいことだと思う。無能でいいということではなくて、仕事はあくまで、家族や個人の生活を支えるためにあるのであって、仕事を生きがいにするというのは、多くの人にとっては難しい。

 

私自身も、仕事自体には、ほとんど興味がない。仕事には熱心に取り組んでいるし、真面目にやっているけれど、仕事ではほとんど頭を使わないようにしている。

というと、はあ?とか思われそうだが、もちろん必要な部分には頭を使うけれど、仕事自体、自動化すべきもので、つまり、毎日のルーティーンが仕事というものだから、身体に覚えこませて自動化すれば、考える事はほとんどない。

頭を使うのは、イレギュラーなことが起こったり、新しいことをやろうとするときだけである。

本当に頭を使うのは、自分の個人的なことのためであって、そのために脳味噌は休ませておいた方がいいと思う。

 

どうやって楽をし、どうやって職場を楽にさせるか、ということを考えていけば、個人の時間にも影響するし、全てがスムーズに動いていく。

 

GWもそろそろ終わってしまうし、改めて、目の前の仕事を追いかけるだけではなく、どうしたらみんなが楽に、肩の力を抜いて仕事をできるかを考えながら、やっていきたいなと思います。

デッサン、理解のための設計図

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「絵画におけるデッサンとは、対象を理解するための設計図だ」

村上春樹騎士団長殺し』に、そうした記述がある。

絵画の技法を、第三者として分析した時に出てくる言葉の一つだと思う。

 

絵画。音楽。映画。

いわゆる芸術と言われるものは、製作者の才能と直感が全てで、素人が理解できるものではない、という漠然とした認識が一般的にあると思う。

けれど、デッサンが対象を理解するための設計図だという言葉は、芸術への一般人の接近を可能にするのではないだろうか。

 

そもそも、絵は何のために描かれるのか?それは、対象を理解するための一つの方法だろう。

私たちは、何らかの対象を理解しようとする時に、見たり、聞いたり、触ったりして、それがどんな性質を持つものなのか、知ろうとする。

絵は、そうした理解の方法の延長線上にある、一つの方法である。

それは、文章を書くことが、これもまた対象を理解するための方法の一つであることと同じである。

音楽もそう。音という素材を用いて、対象に接近する。

 

絵画を分からなものとして見ないこと。音楽を分からないものとして見ないこと。

それが、対象を理解するための方法の一つだと分かれば、画家や音楽家の意志がどこにあるのかも分かってくる。

私たちも、それらの方法を学び、対象に近接することも可能だと思えてくる。

時間があるとブログも書ける

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今日は、友達と会って世間話をしているうちに、ビットコインやブロックチェーンなど、今をときめくフィンテックの話題となった。

金融業界に、IT技術の大きな波が押し寄せている。これから数年先、おそらく金融業界は大きく変貌を遂げるだろう。

 

友人と別れた後、いつものパターンで本屋に寄って、中華料理屋に入った。

近頃、ラーメンではなく、かた焼きそば、関西では揚げそばと言うのだろうか?(メニューにはそう書いてあった)、ともかく、かた焼きそばが食べたくなる。

西武線沿線には、餃子の満州というチェーン店が必ずあるけれど、そこのかた焼きそばは美味しかった。

今日入ったのは、定番の王将だけれど、揚げそばはなかなか量もあり、美味しかった。

 

今治で、宿泊したホテルの夕食に出てきたのは、鯛料理であった。5品か6品のうち、半分くらいに鯛が入っていた。レストランの人に聞いて見ると、愛媛では鯛が料理の定番として出されるという。

今治あたりでは煮た鯛が出されるが、南の方の宇和島方面では、お造りとかの生の鯛料理が出されると話されていた。

今回の料理の中でも、煮た鯛の頭が出て、久しぶりだなあと思って、頭の骨についた身を、時間をかけてほぐして食べた。目玉を食べるのも久しぶりだった。

 

呉では、地元料理は食べず、もう何年も入っていなかった、というか関西に来てからあまり見かけていないファミレスに入った。

24時間営業のファミレスは便利でよく使った。いつでも入れて、コーヒーをお代わりしながら、いたいだけいられる。

 

旅行から帰って来てからは、映画やドラマや音楽を流しながら、本を読み、ゲームをし、パソコンを叩きという、好き放題の生活になっている。

あと数日したらまた仕事開始なので、ちょっと怖い。

 

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

 

 この本は、高校生に教える形で日本近代史が語られ、とても読みやすく勉強になる。

 

宇宙兄弟(1) (モーニングコミックス)

宇宙兄弟(1) (モーニングコミックス)

 

 今頃読んでいるのかと思われそうだが、私は時期を外して、かなり遅れてヒット本を読むことがある。まあ、たまたま読もうかと思っただけなのですが。

宇宙兄弟のお兄ちゃんの方のキャラ、これ結構好きだなあと思った。これぐらいで生きるのがいいよねと思った。

「自分自身のことで、最近発見したことはありますか?」という面接官の質問に、「人よりシャンプーがよく立つことに気づきました」と発言するところとか。

 

真面目に、でも面白く生きていたいなあと思います。

直島、今治、松山、その写真記録

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直島の港近くに展示されているオブジェ3つ。

 

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茫漠とした空間と時間。

 

次の高松行きまで3時間ほどある。

島全体を見ることもできたが、港近くでウロウロ。

待合場所で、本を読んだり、ゲームをしたり、ウトウトしたり。

島の時間は、東南アジアやラテンアメリカの時間の流れと似ている。

齷齪しない。成り行きに任せて、慌てない。慌てることなんて何もない。

 

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直島から高松経由で今治へ。もう夕方。

今治はどこか、懐かしさを感じさせる。どこかで出会ったような街。

過去の記憶、過ぎ去った遠い昔の残影が浮かび上がる。

 

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GW中のためか、日曜日のためか、街中はやけに、ひっそりしていて人の気配があまりない。

市役所前には、造船の町の象徴である船の巨大なスクリュープロペラが展示してある。

 

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今治港。夕暮れ。船舶も港に帰ってくる。

灯台の奥の方に、来島海峡が見え、その先にしまなみ諸島が顔を見せている。

 

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 日没後、ホテルで借りた自転車で今治城へ。

ミニチュアのような、幻想的な、お城の全景が暗闇に浮かび上がる。

二条城もそうだけれど、今治城でも、夜、ダイエットのためか、ジャージ姿で走る人が数人見られた。

 

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翌日は、JRで今治から松山へ。

松山は今回の旅では通過点。呉へのフェリーの発着点。

呉、軍港の面影、蠢く港町

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広島県呉市を訪れた。

予想を裏切った街だった。

 

呉のことは、ほとんど知識がなかった。

昔、Mr.オクレというお笑いタレントがいたけれど、呉という響きからこのタレントを想像してしまい、なよなよした、あんまりパッとしないイメージがあった。

一方で、KURE55という自転車の車輪などに挿す潤滑油のイメージもあって、呉という言葉を聞いても、明確な像を結ばなかった。

 

松山からフェリーで呉港に着いてみて、ここがこれまで私が訪れた街とは全く異なる成り立ちの街であると感じられた。

中国地方の地方都市のイメージしかなかったのだが、呉市は予想に反して、巨大とは言えないが、大きな街である。

しかも、大きいというだけではなく、他にはない雰囲気を醸し出している。

横須賀に近い感じだが、また異なり、港といっても、ただの漁港や旅客船が発着する港ではなく、なんと言えばいいのだろうか、港湾型都市とでも言えばいいのか、一番しっくりくるのは、嘗ての軍港という言葉かもしれない。

 

そう言えば、大学受験の時に、呉市第二次世界大戦当時、日本の10大都市の一つと覚えた記憶がある。

呉市は、戦争当時、日本一・東洋一の軍需工場・軍港であった。その当時の名残が今でも色濃く残っている。

 

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大和ミュージアムに行ってみた。

最初、ちらっと見てみたら、グッズショップも、どことなく最近流行の似たような商品を扱っていて、ミュージアム自体も通り一遍のつまらない感じかなと思えた。

だから、呉に着いた日には見学しなかった。

 

翌日、呉市戦艦大和についても多少知識を得た上で、入ってみた。

このミュージアムは、おそらく、運営方法などは他のミュージアムと大差ないレベルだと思われるけれど、戦艦大和という史上稀に見る題材を扱っているため、観光客の満足度を上げているのだろうと思う。

 

戦艦大和というのは、なぜか妙に惹かれる対象だと思う。

それは、世界最大の戦艦でありながら、最後は米軍の攻撃によって木っ端微塵にされ、爆発して海底に沈んだという悲劇的な最期を遂げたからでもあるだろう。

それに、第1級の軍事機密事項であったため、もう一つ資料が残っていないことも大和の謎を深め、人々を魅了しているのだと思う。

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呉は、力強く美しい街である。

呉港の夕日と、停泊している幾つもの駆逐艦巡洋艦を眺めていると、力強さと美しさは同居することが可能なのだなと思えてくる。 

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列車のシートに凭れながら

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岡山から宇野へ向かい、フェリーで直島に渡った。

写真は直島の港。

そのあと、フェリーで高松に渡り、JRで今治に。

昨夜は今治に泊まった。

 

仕事で疲れていたせいか、移動時間はほとんど寝ていた。花粉症か風邪か分からないが収まらず、薬を飲んだため余計に眠く、本当によく眠った。

 

また、少しずつ写真をアップしていきたいと思います。

 

列車のシートに凭れながら始まったGW。

今治は、落ち着いた静かな港町、城下町です。