ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

iMac

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先日、前々から購入を検討していたiMacの5K、27インチ型を買った。

ノート型では画面が小さく、何かと作業もしづらかったので、今回の切り替えは良かったと思う。

もともと、iMacが27型を出した時、4Kでもあったので、その画質の鮮明さに驚いて、欲しいなと思っていたのだが、何せそれなりに高価だし、ノートもあるから買うのを控えていた。

次第に値も下がり、作業効率も上げたいなと思って、今回購入した。

でも、一番の決め手は、今自分はこれが本当に欲しいんだと思ったからだった。思った時が買い時だとはよく言ったものだ。

 

ヨドバシで買ったのだが、何せ高くない買い物なので、それなりのポイントが付いてきた。

これで何か買おうかと色々考えたのだが、特に欲しいものは思いつかなくて、ヨドバシをあちこち歩いてみたところ、ペンと板で絵を描く、いわゆるペンコムも面白いなと思った。

でも、実際に触ってみたら、買ってもすぐに使わなくなるのが直ぐに分かったので、辞めた。

他にも、初音ミクをはじめとするボーカロイドのソフトも良いなと思ったのだが、おそらくこちらも、ちょっとやったら使わなくなると思ったので却下。

 

iMacは今まで使っていたMacBookと中身は同じなので、その点では目新しいところはない。

やっぱり、iMacのすごいところは、その大画面と画質の鮮明さで、これでもう、小さい画面には基本的に戻れないなと思った。

 

作業スペースというのは重要な要素である。

広すぎるのはそれほど問題にはならないが、狭すぎると何かと不便で、効率が落ちてしまう。

カイロネイアの戦い

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つい2、3日前に岩明均ヒストリエ10』が刊行された。

待ちに待ったという感じではあるが、前の巻の発売から開きすぎているので、毎回刊行されるたびに、話がどんな風だったか忘れてしまっている。

今回も、えーっとなんだっけという感じで、kindle電子版の第9巻を読んでからの第10巻スタートとなった。

 今回のメインストーリーでは、かの有名なカイロネイアの戦いが描かれる。

世界史の年号暗記で、「寒いや(338)カイロがないよ」「耳寒いや(338)カイロないよ」みたいに覚えた人もいると思うけれど、この戦いは古代史上、非常に重要な戦いである。

新興国マケドニアが、偉大なアテネを配下に置くことになり、アテネの凋落が決定的になった歴史的な戦い、その後、マケドニアアレクサンドロス大王の元で、世界帝国を築く礎ともなった戦い、言わば古代史における天下分け目の戦いとも言える重要な戦いである。

 

前巻から続くカイロネイアの戦いを描いた本巻は、カイロネイアの戦いの推移を事実に則って、詳しく描き出している。

アレクサンドロスの初陣でもあるこの戦いは、アレクサンドロスの超人離れした行動の様を、漫画的にアレンジして、でもひょっとしてアレクサンダー王子はこういう感じだったのかも、と思わせるリアリティも匂わせながら描いている。

 

ともかく、『ヒストリエ』は偉大な作品だと思う。なかなか描き進められないのが、ファンとしてはヤキモキするところだが、これだけ緻密に大胆に古代史を描かれては、黙って次を待っているしかない。

主人公、隠れた英雄エウメネスの発掘をも行なっている本シリーズは、歴史マンガの頂点の一つとして、今後も読み継がれていくことになるだろう。

彼岸過迄、オウムの影

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年度末という訳ではないのだが、今日は半日仕事に行った。

帰りに本屋さんに寄った。本屋に寄るのは、私の病気である。

 

以前から気になっていたマンガ『ダンジョン飯』を買った。

ダンジョンというのは、最近の流行り言葉である。

ダンジョン・脱出という組み合わせで登場することが多いけれど、脱出不可能な場所からの脱出劇というドラマは、いつの時代でも魅力的なストーリーだと思う。

この漫画は、ダンジョンで遭遇するモンスターを料理するという奇抜なアイデア作品である。女性漫画家によるもので、絵も可愛らしい。 

 

80年代・90年代の頃によく読んでいた雑誌『現代思想』は、最近では関心のあるテーマの時しか読まなくなった。

 3月の臨時増刊号は、各分野のトップランナーの学者が、自分の専門領域で美しい理論を紹介する特集。

現在の私は、自分の関心ある特定領域だけでなく、幅広い分野について浅くでも知っていきたいなと思います。

 

私は、水・海・湖・川・沼といった水系ものが好きである。できれば近くに川や海があればいいなと思う。

魚と日本人――食と職の経済学 (岩波新書)
 

 数年前に、同じ著者の漁業ものの著作を読んで、結構勉強になった。

この本を読んでみると、小学生の頃、社会科で習った市場・卸売・スーパー・小売店の仕組みや問題点が興味深く分析されており、「生活する」ということの肌触りが伝わってくる。

 

今日、自宅にお寺さんが来た。お彼岸だからである。

彼岸という言葉を聞くと、いつも夏目漱石の『彼岸過迄』が思い浮かぶ。

彼岸過迄 (新潮文庫)

彼岸過迄 (新潮文庫)

 

青空文庫彼岸過迄

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/765_14961.html

 

彼岸過迄』は、お彼岸と全く関係ない内容である。連続するストーリーだが、いくつかの短編に分かれていて、短編ごとに話者が異なる。

漱石の作品は面白い。けれど、それは推理小説のようなカラクリがある面白さとは違う。だから、いわゆるネタバラシの対象にはならない。

この点は、村上春樹も似ていて、村上の作品にも、ネタバラシになるようなストーリー展開はそんなにない。夏目漱石村上春樹も、ストーリーの面白さに魅力があるのではなく、その語り口・文章・描写力といったところに魅力があると思う。

 

地下鉄サリン事件からもう22年も経過した。

日本社会の内なる闇であったオウムの影は、この20年ほどの間に、どのように変化していったのか。

オウムは決して人ごとではない。この事件を通じて、自分たちがどのようなメンタリティを有しているのかを、良識ある人たちは痛感したに違いない。

当時、オウム真理教を狂った教団と呼んでいた人たちもいた。しかし、その態度は、オウムの問題から目を背けているだけである。

オウム事件が残した問題は、現在も課題として、山積みにされている。

ボーリング、複数集団への所属

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人に誘われ、昨日はボーリングに行った。

ボーリングをやったのはいつのことだったろう?

もう10年以上はやっていないはず。文化としても忘れられてきている?

 

投げてみたら、まっすぐ行かずガターだった。

2、3回投げていたら、感覚が少しずつ蘇ってきた。

残り5回ほどのターンは、スペア・ストライク・1本残しくらいで、久しぶりとしてはまずまずだった。

 

どんなスポーツでもそうだけれど、体の動きと目の動きは連動していて重要。

ガターが出た時は、目を狙いに定めておらず、手元やボールの着地点を見ていた。

ボールがストレートに狙った地点のピンに当てられるようになってきた時、目は狙ったピンを見ていた。

結局、狙いたいピンを決めて、そこに視線を集めて投げることができれば、ほぼピンは倒せる。

ボーリングのフォームはそれほど難しくない。腕を振り子のようにできるだけ後ろに真っ直ぐに持っていき、加速をつけてボールをリリースできれば、それなりのスピードでボールが真っ直ぐ回転していく。

最初はスピードよりも真っ直ぐに気を配ればいい。

 

また行こうかということで、その後は近くの焼肉屋さんに行った。

 

今回の親睦会を仕切ったのは、いつもその人がいれば何らかの発信をしてくれて場を楽しく明るくしてくれる人。

数年前に同じ場所で仕事をしていた。

久しぶりに誘われて行ったのだが、場所が変わっても同じようにやっているんだなあと思って、やっぱり人はその人その人の持ち味があるなあと感じました。

 

一つの場所だけに所属していると、その場所の雰囲気に馴染んでしまう。

これは危険な面もあるから、いろいろな異なる集団に属して、色々な人と交わるのが柔軟にやっていくためのコツだと思う。

 

端から見ていると馬鹿らしく思えることを、内部にいる人はそれが正しいと思い込んでやっていることは多々あるから。

毎日を楽しく生きたいよね

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私は文章を書くのが好きである。

時間を与えられれば、ずっと書いていることもできると思う。

でも普通にやりたいことはたくさんあるし、書く時間は限られてしまう。

 

中学生の頃に、クラスで、ノートに順番に日記を書くという習慣があった。

その時、私が書くページはとても多く、バラエティに富んでいたので、先生から、彼(私)の書いたものを読んでみなさい、面白いからとみんなにアピールしてくれた。

人の課題の作文を代わりに書いたことも度々あったし、話は逸れるが、人の宿題を放課後やってあげたりして、その代わりにケーキとか奢ってもらったりしていた。

 

こういう風に書いてみると、えらく優等生ぽいなと思われるけれど、私はたまたま、そうした方面の技術を使って人と接触するタイプの子供だったということかなと思う。

 

私の妹の子供が、あまり勉強ができなく、大学に行くよりは専門学校に行って何か実用的な技術を身につけた方が、その子のためになると、妹をはじめ旦那さんも言っているそうである。

これを聞いて私の母などは、勉強ができないことを、さも可哀想なごとく話をするけれど、どうして学校の勉強を基準に、人の評価や将来を決めてしまうのだろうと思う。

 

学校制度は必要なものだと思うけれど、人の評価をそれだけによって行うべきではない。

学歴に関係なく、優秀な人は星の数ほどいる。

どんな人にも生きて来た履歴がある。その履歴は人とは違う。それだけでも人はそれぞれ価値があると思う。

 

問題は、そうした人の培って来た履歴を、人と接触することで開陳させ、自分の栄養とする力が乏しい人が多いところだと思う。

日本人は、押し並べて引っ込み思案で、口下手、社交下手。

海外から帰って来て、空港を見たときの日本人の表情のなさに、そのことが国民性として現れている。

 

この世は謎だらけ、事件だらけ。

様々な人たちと繋がって行くことが面白いと思えれば、こんなに楽しい日常もない。

the ORIGIN

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 安彦良和の自叙伝が発売された。

機動戦士ガンダム、数々の歴史物を描いてきた安彦が、自身の履歴と作品を重ね合わせる。

昔、ウルトラマンの誕生背景に沖縄問題があったということが話題となったけれど、どんな作品にも、それを作り上げる切っ掛けや背景がある。

アニメファンにとっての聖人とも言えるガンダム

そのガンダムにも、人間的な創作物語があった。

原点 THE ORIGIN

原点 THE ORIGIN

 

 

私の家には、赤ん坊の頃から大量に本があった。

幼い頃、絵本を読むのが何より好きで、幼稚園で年に2回渡される絵本の日が待ち遠しかった。

現在は、自分の買った本で部屋が溢れている。

今まで読んだ本で自分に影響を与えた本ってどれだろうと思った。

 

旺文社の『図説 日本の歴史』 全9巻くらい、が小学生時代のお気に入りで、繰り返し繰り返し写真を見たり、本文を読んだりした。

今はもう絶版なのかもしれない。

それと、題名は忘れたけれど『歴史上の人物辞典』みたいな名前の本。この本は、風邪で学校を休んだ日に、寝ながらよく読んでいたなあと思った。

シャーロックホームズシリーズや明智小五郎シリーズもよく読んだ。

 

過去の読書履歴を振り返って一番影響を受けたのは見田宗介の『宮沢賢治』だと思う。

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

 

 特に宮澤賢治ファンでもないのだが、この本の宮澤賢治分析には衝撃を受けた。

この本からは様々な滋養を得ることができるけれど、例えば宗教活動との関わりについて考えるためのヒントも得られると思う。

 

現在はシステムの転換期。

過去のシステムが綻び、少しずつ新しいものに変化していく。多くの人が暗闇の中、手探りで次のシステムを構築していっている。

自分の原点。それは変わらないし、変えられないし、その地点からどこまで遠く歩んでいけるか、それは楽しく魅力的なことだと思う。

思うようには捗らない

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仕事が思うように捗らず。

仕事ばかりというのもどうかと思うけれど、放っておくわけにもいかない。

昨年よりはマシになったと思う。

 

体育会で合宿して練習していた時、何ヶ月もずっと人と一緒だったので、いい加減一人になって自分の時間が欲しいと思ったものだ。それに比べると仕事なんて、大したことないとも言える。けれど、仕事はお客さん相手だから、責任の重さが違う。

 

今の世の中、無理して騙し騙し進んでいる感じだし、近いうちに、その歪みが私たちに大きな打撃を与えるのではないかと思う。

 

今週は、何かと時間が取れず、疲れて寝てしまうパターンだった。

 

今日、健康診断の結果をもらった。

特に異常なしだったが、視力が少し低下していた。眼鏡やコンタクトを取ると0.1ないほど悪いのだが、眼鏡をかけても少し片目が低下していた。

私は身長も体重も、中学生か高校生かくらいからあんまり変化していない。さすがにずっと家にいたりすると太るけれど、基本的に太らない。食べる量もかなり多いと思うのだが、なぜか、体重に変換されない。このカロリーはどこに行くのだろうか?

 

私の欠点は人に優しいところだと思う。これは言わば、なんでも許してしまうということでもある。

私は人の行動や動きは比較的良く観察している方だと思うけれど、まあこういう人もいるだろうと思って、問題があってもそれほどきつくは言わない。

唯一怒る場面としては、他人を侮辱したり、要するに他人を尊重して発言したり行動したりできない人には、かなり思い切り咎める。それは身内・上司・先輩・後輩などは問わない。

どんな人にも優れた部分はあるし、そもそも、ある部分が劣っているからと言って蔑むのは単に間違っている。 

 

何かと、私も言いたいことはあるし、と言ってそれを日々言える環境でもないし、このブログに書くのが関の山だ。