ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

今日の出来事

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今日は、五条河原町辺りから、六波羅蜜寺建仁寺を抜け、祇園方面へと向かった。

 

花粉症がそろそろ発症してきた。目が痒く、鼻水が出る。

 

4月から忙しくなるので、3月の今のうちに九州方面の旅に行きたいなと思う。

 

J.G.バラード原作の映画『ハイライズ』を見る。

タワー型マンション住民間の階級対立の物語だ。原作が1975年の作品というのが驚きである。今でこそタワーマンションは一般的になったが、40年も前にこの作品を書くというのがSF作家の凄さかなと思う。

ハイ・ライズ[Blu-ray]

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佐賀県では毎年、秋頃に熱気球の世界選手権が行われるらしい。

これは面白いなと思った。

www.sibf.jp

熱気球という珍しさだけでなく、こうした大会の運営方法にも関心がある。

 

祇園からの帰りに、漢字検定の問題集を買って帰った。

分野別 漢検でる順問題集 準1級

分野別 漢検でる順問題集 準1級

 

 特に漢字検定を受験するつもりはないのだが、漢字自体好きで、暇つぶしに見てみようかなと思った。

そう言えば、東京の赤羽に行った帰りに、ふと思いついて駅前の本屋で漢検の問題集を買ったけれど、引越しで売ってしまったなと思い出した。

参考書は旺文社がやっぱり使いやすいし、興味を引く参考書を連発して出版している。

右胸に心臓を持つ祖母、妹の死

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私には女性的な仕草があると人から言われる。

子供の頃は、母と妹と祖母と一番長く一緒にいた。だから、自然と彼女たちの仕草が身についているのかもしれない。

それにそもそも私はどことなく男性というよりは女性寄りの中性的なところがあるように思う。

もちろん今はもうそんなことはないが、10代の頃は、さらに大学に入ってからも、見た目や性格がどことなく女の子的なところがあった。

よく女の子からも、女の子みたいだねと言われた。

それが理由かどうかわからないが、大学に入って厳しい体育会系の部活を選んだ。もう少し男性らしくなりたいと思っていたのかもしれない。

 

村上の新作に、中学一年生で他界した主人公の妹のエピソードが出てくる。心臓病を患っていたのが原因だ。

このエピソードを読んだ時、祖母と母のことを考えた。

祖母はとても珍しく、心臓が右側にあった。でも心臓に異常はなく、80歳頃まで生きた。

母の一番下の妹は、小学校6年生の時、心臓発作で他界した。一度母からその話を聞いたけれど、今でも妹のことが心のどこかに特別な場所を占めていると思う。

村上の小説でも、妹の死が、主人公に強烈な精神的ダメージを与えている。

 

 前にn個の性のことを書いたけれど、n個の性の中でも、女性という性は、際立って特徴のある性だと思う。

動物的な臭覚が鋭く、頭で考えるより以前に、観察力や感覚の鋭さで人や物に接する。

母と祖母は、全く正反対の性格であったけれど、母は穏やかで祖母は新撰組の生き残りかと思わせる豪傑だったけれど、二人とも女性として男性にはない奥行きのある世界を生きていたと思う。

 

私は男性的に生きるよりも、まずは女性的に生きることを選択したいと思う。それは、言葉以前の世界に生きることを主眼に、その世界を言語に翻訳していくという方法である。

雛人形の日に

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 今日はひな祭りである。もう3月だ。昼間、気温が上昇し暖かく感じる日もある。

冬と春の端境期。

 

週末。

お決まりごとのように、ラーメン屋に寄って、チャーハン定食のチャーシューメンネギ多めを食べ、本屋へ。

 

上野千鶴子『時局発言!』を購入。

時局発言!

時局発言!

 

 上野先生の著書は鋭く、無駄がない。

先生の若い頃の著書『日本王権論』を読んで、その学の深さ・発言の的確さ・頭の回転の速さに、凄すぎる!と舌を巻いた。

日本で、上野千鶴子の右に出る学者はいないと思う。先生と互角に戦える人はいるけれど、越えられる人はいないのではないかと思う。

 

どの分野でも、その一線で活躍している人は、只者ではない。

保険の営業で全国1位の営業マン、サッカーの得点王、どんな手術でもこなす心臓外科医、行列のできるチキンカツを作るコック、、、。

 

若い頃、ある一流の人に言われたことがある。

「本当に一生懸命やっていたら涙が出ますから」

その時、私はその感じがピンとこなかった。一生懸命にやっていなかったからだ。

けれど、その後、何年もして仕事に懸命に取り組んでいて成功した時、涙が溢れた。昔言われた言葉が、その時漸く分かった。

 

どんなことでも、懸命に取り組むことはできる。考え、設計し、実行して、成果が得られれば前進することができる。また新たな課題も見えてくる。

 

情熱大陸トップランナーではないが、様々な一流の人から刺激を受けて、また身近にいる多くの人から刺激を受けて、新しいものを吸収していきたいと思う。

 

今日はひな祭り。

子供の頃、大きな雛人形の棚の裏に隠れて眠った。いつもとは違う隠れ家のような空間。一年に一度だけ出会える場所。

形だけの〜は嫌だ

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ナポレオンは3時間しか眠らなかったという。

モーツアルトは35歳で世を去った。シューベルトも31歳の若さで死んでしまった。

カフカも夜中に小説を書き続けて40歳で病死した。

 

世に名を残した偉人たちは、どこか人とは異なる生活態度・生活習慣を実践していたようだ。

単純に夜眠る時間を削れば、起きて活動する時間が増え、多くのことができる。時間をかければ人より優れた何かが実現可能かもしれない。

しかし、大方の人は楽をしたがる。まあ、普通に生きていければいいや、となる。

 

どんな生き方でも構わないし、そんなこと自分で決めろよで、おしまいである。

でも、死んでもいいから、何かやってやろうと決めてやり遂げるのも、素敵なことだと思う。

 

今日、防災訓練があった。毎年恒例の行事だ。

私はこういうのが好きではない。意味がないとは言えないし、必要な部分もあるけれど、いつも同じような催しをしていないで、もっと実用的・実践的な時間を取る方が意味がある。

そもそも、日本人の行う避難訓練は、小学校時代のみんなで帰れば安全だみたいなレベルで、事細かなシュミレーションが全く考えられていない。

東北大震災や阪神大震災レベルの災害が起きた時、避難訓練みたいなレベルの逃げ方だと、死者が出る。みんなが揃っているかどうか確認している段階で、みんな死んでしまう。

地面が傾くぐらいの揺れの中で、そんな悠長なことはやっていられない。自分の身は自分で守り、災害が静まった時点で責任者に連絡するなり、責任者が連絡するなりして全員の無事を確認するのが一番みんなが助かるのではと思う。

ただ、普段から個人個人がどこにどのように逃げるのが100%助かるのかを、話し合ったりして共有しておくことは必要である。

避難訓練が有効なのは、軽度の部分的な災害の場合ぐらいだと思う。

 

日本人というのは、本当に人の目を気にする人たちなので、個人プレーの重要性をあまり理解していない。

自分の生き方は自分で決めていくのと同じく、自分の命は自分で守っていく。そうした自覚ある人が集まって社会が構成されていく。そうあるべきだと思う。

冬来りなば

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今日で2月も終わりである。

2月は私にとって特別な月である。誕生月だからだ。

私が生まれた日は大雪だったらしい。

226事件があった日も、東京は大雪だった。戒厳令下の東京。青年将校が跋扈する。

いつの時代も、時代を変えていく原動力になるのは若い世代である。同じものを見ていても、そこから汲み取る意味は若い世代と年長世代では異なる。

 

春が来ても、同じ春が来るのではない。

漫然と過ごしている人には同じ春かもしれないけれど、そうでない人には新しい季節の到来、昨年とは違う春の到来と感じられるだろう。

 

冬来りなば春遠からじ。

冬は春を伴って行進している。冬の裏には春が貼り付いている。 

明けない夜はない。

切れ目のない日常の中で

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村上春樹の新作『騎士団長殺し』を少し読んでみた。

一瞥したところ、村上の初期から続くテーマ、特に『ねじまき鳥クロニクル』以降のテーマ、作品構成を集大成してアレンジした小説のように思えた。

 

妻がいなくなる。芸術家が登場する。主人公に名前がない。モーツアルト等々。

 

『ねじまき鳥』もそうだが、村上の小説では、妻・恋人が去ってしまう男性が度々登場する。『女のいない男たち』という短編集も発売されたけれど、村上にとっての小説は、嘗て一緒にいた女性が男性の元を去り、一人になった男性を巡るストーリーにあるように思う。

そして、重要だと思えるのは、村上の小説が、一人になった男性が可哀想だとか、哀れだとか、そうした感情を描いているものではないというところである。日本的な小説の定番として、独身男性の惨めさを描くのではなく、あくまで、一人になった男性の状況を描き、彼の行動を事細かに描く。

女性に去られた男性という形象は、現代都市で常態化している状況の一つを、抽象的に表現したものではないのかなと思う。

 

切れ目のない日常の中で、私たちはどこから来てどこへいくのだろうか。

駅が、電車が通り過ぎていく

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グーグルだったか、flickrだったか、駅のホームを撮って掲載している人がいました。

松本清張『点と線』は、駅の列車のすれ違い数分を使ってトリックを仕掛けた作品。

 

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 上の3枚は名古屋駅中央線ホーム。貨物列車が通り過ぎていく。

列車に乗ると、駅が通り過ぎていく。