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ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

雛人形の日に

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 今日はひな祭りである。もう3月だ。昼間、気温が上昇し暖かく感じる日もある。

冬と春の端境期。

 

週末。

お決まりごとのように、ラーメン屋に寄って、チャーハン定食のチャーシューメンネギ多めを食べ、本屋へ。

 

上野千鶴子『時局発言!』を購入。

時局発言!

時局発言!

 

 上野先生の著書は鋭く、無駄がない。

先生の若い頃の著書『日本王権論』を読んで、その学の深さ・発言の的確さ・頭の回転の速さに、凄すぎる!と舌を巻いた。

日本で、上野千鶴子の右に出る学者はいないと思う。先生と互角に戦える人はいるけれど、越えられる人はいないのではないかと思う。

 

どの分野でも、その一線で活躍している人は、只者ではない。

保険の営業で全国1位の営業マン、サッカーの得点王、どんな手術でもこなす心臓外科医、行列のできるチキンカツを作るコック、、、。

 

若い頃、ある一流の人に言われたことがある。

「本当に一生懸命やっていたら涙が出ますから」

その時、私はその感じがピンとこなかった。一生懸命にやっていなかったからだ。

けれど、その後、何年もして仕事に懸命に取り組んでいて成功した時、涙が溢れた。昔言われた言葉が、その時漸く分かった。

 

どんなことでも、懸命に取り組むことはできる。考え、設計し、実行して、成果が得られれば前進することができる。また新たな課題も見えてくる。

 

情熱大陸トップランナーではないが、様々な一流の人から刺激を受けて、また身近にいる多くの人から刺激を受けて、新しいものを吸収していきたいと思う。

 

今日はひな祭り。

子供の頃、大きな雛人形の棚の裏に隠れて眠った。いつもとは違う隠れ家のような空間。一年に一度だけ出会える場所。

形だけの〜は嫌だ

社会

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ナポレオンは3時間しか眠らなかったという。

モーツアルトは35歳で世を去った。シューベルトも31歳の若さで死んでしまった。

カフカも夜中に小説を書き続けて40歳で病死した。

 

世に名を残した偉人たちは、どこか人とは異なる生活態度・生活習慣を実践していたようだ。

単純に夜眠る時間を削れば、起きて活動する時間が増え、多くのことができる。時間をかければ人より優れた何かが実現可能かもしれない。

しかし、大方の人は楽をしたがる。まあ、普通に生きていければいいや、となる。

 

どんな生き方でも構わないし、そんなこと自分で決めろよで、おしまいである。

でも、死んでもいいから、何かやってやろうと決めてやり遂げるのも、素敵なことだと思う。

 

今日、防災訓練があった。毎年恒例の行事だ。

私はこういうのが好きではない。意味がないとは言えないし、必要な部分もあるけれど、いつも同じような催しをしていないで、もっと実用的・実践的な時間を取る方が意味がある。

そもそも、日本人の行う避難訓練は、小学校時代のみんなで帰れば安全だみたいなレベルで、事細かなシュミレーションが全く考えられていない。

東北大震災や阪神大震災レベルの災害が起きた時、避難訓練みたいなレベルの逃げ方だと、死者が出る。みんなが揃っているかどうか確認している段階で、みんな死んでしまう。

地面が傾くぐらいの揺れの中で、そんな悠長なことはやっていられない。自分の身は自分で守り、災害が静まった時点で責任者に連絡するなり、責任者が連絡するなりして全員の無事を確認するのが一番みんなが助かるのではと思う。

ただ、普段から個人個人がどこにどのように逃げるのが100%助かるのかを、話し合ったりして共有しておくことは必要である。

避難訓練が有効なのは、軽度の部分的な災害の場合ぐらいだと思う。

 

日本人というのは、本当に人の目を気にする人たちなので、個人プレーの重要性をあまり理解していない。

自分の生き方は自分で決めていくのと同じく、自分の命は自分で守っていく。そうした自覚ある人が集まって社会が構成されていく。そうあるべきだと思う。

冬来りなば

日常

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今日で2月も終わりである。

2月は私にとって特別な月である。誕生月だからだ。

私が生まれた日は大雪だったらしい。

226事件があった日も、東京は大雪だった。戒厳令下の東京。青年将校が跋扈する。

いつの時代も、時代を変えていく原動力になるのは若い世代である。同じものを見ていても、そこから汲み取る意味は若い世代と年長世代では異なる。

 

春が来ても、同じ春が来るのではない。

漫然と過ごしている人には同じ春かもしれないけれど、そうでない人には新しい季節の到来、昨年とは違う春の到来と感じられるだろう。

 

冬来りなば春遠からじ。

冬は春を伴って行進している。冬の裏には春が貼り付いている。 

明けない夜はない。

切れ目のない日常の中で

文学

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村上春樹の新作『騎士団長殺し』を少し読んでみた。

一瞥したところ、村上の初期から続くテーマ、特に『ねじまき鳥クロニクル』以降のテーマ、作品構成を集大成してアレンジした小説のように思えた。

 

妻がいなくなる。芸術家が登場する。主人公に名前がない。モーツアルト等々。

 

『ねじまき鳥』もそうだが、村上の小説では、妻・恋人が去ってしまう男性が度々登場する。『女のいない男たち』という短編集も発売されたけれど、村上にとっての小説は、嘗て一緒にいた女性が男性の元を去り、一人になった男性を巡るストーリーにあるように思う。

そして、重要だと思えるのは、村上の小説が、一人になった男性が可哀想だとか、哀れだとか、そうした感情を描いているものではないというところである。日本的な小説の定番として、独身男性の惨めさを描くのではなく、あくまで、一人になった男性の状況を描き、彼の行動を事細かに描く。

女性に去られた男性という形象は、現代都市で常態化している状況の一つを、抽象的に表現したものではないのかなと思う。

 

切れ目のない日常の中で、私たちはどこから来てどこへいくのだろうか。

駅が、電車が通り過ぎていく

写真 日常 風景

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グーグルだったか、flickrだったか、駅のホームを撮って掲載している人がいました。

松本清張『点と線』は、駅の列車のすれ違い数分を使ってトリックを仕掛けた作品。

 

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 上の3枚は名古屋駅中央線ホーム。貨物列車が通り過ぎていく。

列車に乗ると、駅が通り過ぎていく。

金山駅前の土曜日の午後

写真

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今朝は起きるのが遅く、ちゃんと机の前に座ったのが10時頃だった。

それで、天気もいいし出かけるかと思って、、近所とか大阪とか姫路とか尼崎とか、色々と浮かんだのだが、うーん、、、みたいな感じで、閃いたのが新幹線で名古屋行きだった。時々、新幹線に乗りたくなる。

でも行ってみると、あんまりピンと来ないで、少し写真を撮ってとんぼ返りした。帰りは米原経由で帰ったのだが、夕焼け時間あたりがちょうど米原くらいかなと思って降車した。

 

13時から21時までの8時間だったけれど、意外と色々と動けて、割と楽しい半日だった。

 

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名古屋ボストン美術館が入るビルの11階から階下を撮影

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電車が行き交う。金山駅辺り 

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長閑な土曜日の午後。車も少ない様子

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都市センターのような公共施設の床にプリントされた名古屋地図

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名古屋市のミニチュア

 

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都市イメージのコーナーに聳える象形文字を刻んだオベリスク

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金山駅前のカラオケビル

 

金山は、「かなやま」と読むが、「きんざん」と読んでしまう。金という字が韓国を連想させ、韓国といえば釜山(ぷさん)が思い浮かぶからだろうか。

 

土曜日の午後が、ゆっくりと過ぎていく。

ガス抜きに、親睦に

日常

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昨日も飲み会があった。今月は割と暇もあって、また、飲みの理由もあって、毎週末飲みに行っている。

20代の頃は、仕事が忙しすぎて、反対に、課の多くの人が飲みに行かないとやっていられない感じで、週に3日くらいは先輩や同期と飲んで帰っていた。

 

昨日は、1番若手が、いつもにも増して破茶滅茶振りを発揮して、場を盛り上げたり白けさせたりしたが、それを見ていて、若い頃の自分もこんな感じだったのかもと思った。

 

若い頃の、特に学生の頃の私は、飲みに行くともう滅茶苦茶で、もうこいつは連れてくるなと店から言われたり、とにかく度がすぎていた。だけどその反面、後輩には面白がられていた。

 

飲みに行くと、人のまた違った側面が見えたりするから、面白いなと思う。

私はただただ自分が楽しいのと、場を盛り上げたいと思って、滅茶苦茶していたのかな?と思う。

1人が滅茶苦茶すれば、その雰囲気が感染して場が動き出すし、ピエロを演じる人は必要かなと思う。

 

今日は、いきなり名古屋に行こうと思って、昼から行ってきました。

また、次の記事に写真を載せます。